高級腕時計の時計通信

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20.5.2016

高級時計「フランクミュラー」の良さを知る! ~革新を生み出すことができる理由は、人の「個」にあり~

Komehyo

ブログ担当者:前川

 

人気時計ブランド「フランクミュラー」が世に送りだす類まれなるデザインの時計。特に、曲線の組み合わせで作られた「トノウカーベックス」ケースに、「ビザン数字」とよばれるレタリングのアラビアインデックスを組み合わせたデザインは、フランクミュラーのイメージそのものです。時計について明るくない方でも、フランクミュラーが産み出したその時計デザインを目にしたことがあるのではないでしょうか。

 

さて、フランクミュラーの良さはどこにあるのでしょうか?もちろん「作品の素晴しさ」がもっとも大きな魅力です。個性的であり審美性の高いデザインは、多くの人々の美欲を刺激します。そして、世間を驚かせる複雑機構を次々と生み出す革新性は、フランクミュラーというブランドに高いステータスを与えています。では、そのような素晴しいデザインや革新的機構を生み出すことができる理由は何でしょうか?私はその理由をフランクミュラーが人の「個」を大切にしているからだと考えています。

 

今週は、フランクミュラーがいかに人を大事にし、「個」を尊重しているかを紹介いたします。

 

↑「トノウカーベックス」ケースと
「ビザン数字」インデックス
※画像はトノウカーベックスマスターカレンダー
「2850 MC L」

 

 

 

 

◆最大の個は「時計師フランクミュラー」!

まずは、「フランクミュラー」 についてです。ご存知の方も多いかと思いますが、フランクミュラーは「人名」であり「ブランド名」です。かつてフランクミュラー氏は個人活動で時計作りをしていました。つまり、独立時計師でした。その後、会社を立ち上げ「フランクミュラー」ブランドを世に送り出します。簡単にですが、フランクミュラー氏の経歴を振り返りましょう。

 

1958年※1、スイスのラ・ショード・フォンでフランクミュラー氏は生まれます。17歳でジュネーブで有名な時計学校に入学し、優秀な成績で卒業します。 その後、ロレックスを含めいくつかの時計メーカーから就職の声がかかりますが、彼は別の道を選びます。彼はどのメーカーにも属さない独立時計師スヴェン・アルデルセンに弟子入りをするのです。そこでアンティークウォッチの修復をしながらその才能を磨きます。

 

フランクミュラー氏が本格的に時計界にデビューしたのは1986年のバーゼルフェアです。そこで当時28歳の独立時計師フランクミュラー氏は、なんどトゥールビヨン※2付きの腕時計を創り上げました!トゥールビヨン腕時計の先鞭をつけたのです。それを皮切りに、フランクミュラー氏は次々と複雑機構を盛り込んだ腕時計を発表していきます。まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いです。アンティーク修復から得たアイデアをベースに次々と複雑腕時計を作り上げるさまから、いつしかフランクミュラー氏は「天才時計師ブレゲの再来」とも言われるようになります。そう、時計ブランド「フランクミュラー」が大事にしている最大の個は、「天才時計師フランクミュラー」なのです

 

 

 

 

 

◆時計ブランド「フランクミュラー」の成功の鍵も「人」だった!

フランクミュラー氏は卓越した技術で革新的機構を作り上げる一方、オリジナルデザインを構築することにも注力します。その結果、彼がオーダーで作り上げた時計に、現在の「トノウカーベックス」の原型となる革新的なケースデザインを誕生させます。ただし、多くの曲線で立体的に作り上げるトノウカーベックス形状は、多くの業界人からは「量産には向かないデザイン」と考えられていました。

 

しかし、そのトノウカーベックス形状を量産する困難に共に立ち向かえる人物がフランクミュラー氏の元に現れます。元ジュエラーでケースメーカーのヴァルタン・シルマケス氏です。フランクミュラー氏とヴァルタン・シルマケス氏が共に手を取り会社とブランドを興し、トノウカーベックスを量産して時計ブランド「フランクミュラー」は成功するのです。シルマケス氏がトノウカーベックスに注目しフランクミュラーに人生を賭けたという「個のアクション」が、現在のフランクミュラーを大きくしたのです。

 

↑多くの曲線で立体的に作り上げるトノウカーベックスケース

 

 

 

 

 

◆他の「個」を認めるフランクミュラー

 フランクミュラー氏は自身のブランドを立ち上げた後に、彼の会社で別の2つのブランドを興しています。1つは「ピエール・クンツ」、もう1つは「ECW(ヨーロッパ・カンパニー・ウォッチ)」です。

 

前者のピエール・クンツもフランクミュラー同様に「個人名」であり「ブランド名」です。ピエール・クンツ氏はレトログラード機構を得意とする時計師で、フランクミュラー氏の工房に勤め学んでいました。そしてフランクミュラー氏にその才能を認められ、ブランド「ピエール・クンツ」を立ち上げます。後者のECWはイタリアの時計界のドンとも言えるロベルト・カルロッティ氏が立ち上げたブランドです。カルロッティ氏はフランクミュラー氏が世間に広く認められる前から繋がりがある人物です。彼はフランクミュラー氏がブランドを立ち上げた後は、イタリアで築いた彼の影響力を遺憾なく発揮し、フランクミュラーのイタリアへの普及に尽力します。フランクミュラー氏がカルロッティ氏にECWを興させたのは、カルロッティ氏が持つ時計センスを高く評価していたからだと思います。

 

通常の時計ブランドであれば、優秀な人物を「囲い込んでしまう」ことが多いと思います。しかし、フランクミュラー氏は優秀な人物を囲い込まず、その「個」を発揮できるように独立させました。この判断は、メーカーへの就職を選ばず独立時計師の道を歩んだフランクミュラー氏だからこそできたものだと思います。このエピソードは、フランクミュラー氏が大事にしているものが「個」であるという証明ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

いかがでしょうか?いかにフランクミュラー氏が「人」や「個」を大事にしているかご理解いただけたでしょうか。フランクミュラー氏は自身がブランドの顔としての「個」でありながら、ヴァルタン・シルマケス氏という「個」と共に歩んでいます(仲違いした時期もありましたが…)。そして、ピエール・クンツ氏やロベルト・カルロッティ氏の実力を認めると、彼らの「個」を表に出せるように独立をサポートしました。今ではフランクミュラー氏の立ち上げた会社には、彼らのブランドを筆頭に多くのブランドが存在します。

 

「個」を大事にし、その「個」から多くの革新が生まれる。それは、独立時計師として時計界に現れたフランクミュラー氏だからこそ持てるマインドであり、時計ブランド「フランクミュラー」が世間を驚かせる時計を次々に産み出せる源となっています。私はそう感じています。これからも、フランクミュラーの新たな革新に注目です!

 

 
※1・・・初稿で表記した出生年に誤りがございました。訂正させていただいます。×1965年→○1958年

 

※2・・・トゥールビヨン機構については過去のブログ「時計史上最も有名な人物はブレゲ ~ブレゲ社が持つ創設者への想い~」をご参照ください。

 

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