高級腕時計の時計通信

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29.12.2017

タグホイヤーの高い知名度は、アイルトン・セナのおかげ!? ~“セナモデル”の貢献~

Komehyo

ブログ担当者:後藤

 

皆さん、F1人気全盛期を牽引したドライバー、「アイルトン・セナ※」をご存知でしょうか?

 

「音速の貴公子」と呼ばれ、1980年代後半から90年代前半にかけて、ワールドチャンピオンに3度輝いた名ドライバーです。そんな彼の当時の写真を見てみると、手首にはタグホイヤー(TAG HEUER)の腕時計が写っています。

 

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、アルイトン・セナはタグホイヤーと契約を結んでいました。そのため、アイルトン・セナはタグホイヤーを愛用していたのです。

 

残念ながらアイルトン・セナは、1994年に事故で亡くなってしまいます。しかし亡くなった後も、アイルトン・セナは大きな存在感を発揮して、タグホイヤーの人気を支えているのです。彼の事故から多くの時間が流れましたが、それでも愛されているその存在は、「凄い」の一言です。

 

個人的な意見ですが、タグホイヤーはアイルトン・セナと契約していなければ、今ほどの知名度はなかったかもしれません。それぐらい、タグホイヤーにとってアイルトン・セナは大きな存在なのです。

 

今週はタグホイヤーとアイルトンセナの関係について書かせていただきます。

 

※本来はフルネームの「アイルトン・セナ・ダ・シルヴァ氏」とするべきかもしれませんが、今回は、レースライセンスの登録名として定着している表現、「アイルトン・セナ」を使わせていただきます。

 

 

 

 

 

 

■アイルトン・セナはどんな人?

 

アイルトン・セナは、1960年3月21日、ブラジルのサンパウロに生まれました。裕福な家庭に育ち、幼少期は父親からレーシングカートを与えられ、車を身近に感じながら成長していきました。

 

なんと、13歳から本格的にカートレースを始めたそうです。F1の登竜門とも呼ばれるF3に挑戦し、圧倒的な才能と精神力を武器に勝利を積み重ねていきました。24歳で念願のF1へと参戦したセナはトップクラスのチームには所属していないものの、大雨のモナコグランプリで2位を獲得するなど、徐々に頭角を現していきます。

 

名門チームのロータスを経由し、ついに1988年、アイルトン・セナをもっとも輝かせたマクラーレンに移籍します(後述しますが、マクラーレンとタグホイヤーは深い関係にあります)。このマクラーレンでアイルトン・セナは、1988年、90年、91年と3度のワールドチャンピオンの座を手にします。また、マクラーレンのカラーは赤と白の“日の丸カラー”であり、そのシャーシ(車体)にはホンダのエンジンが搭載されたこともありました。まさに、日本国内におけるF1人気を牽引する存在でもありました。

 

↑マクラーレンとも関係の深いタグホイヤー

※画像は「6000・マクラーレンモデル」

 

そしてアイルトン・セナは、1994年には慣れ親しんだマクラーレンを離れて、念願でもあったルノーへと移籍します。しかし同年の5月1日、サンマリノグランプリにて悲劇は起こりました。レース中、突如走行が不安定となり車体はコース脇のコンクリートへと衝突。34歳という若さで他界し、世界中のファンが涙したのです。ただし今でも、2位を引き離して先頭を走るアイルトン・セナの姿は、多くのファンの記憶に残っています。

 

 

 

 

 

■タグホイヤーとアイルトン・セナの関係

 

アイルトン・セナが好きな方は、「セナの腕時計」と言われると下の画像のモデルをイメージするのではないでしょうか。このモデルはタグホイヤーの「プロフェッショナル・S/el(セル)クロノグラフ」です。

↑プロフェッショナル・S/elクロノグラフ

 

S/el(セル)シリーズは1987年に登場したシリーズですが、“人間の背骨”をデザインに取り込んだその個性的デザインは、今見ても斬新に感じます。その中でも、1/100秒計測クロノグラフ、ステンレスとイエローゴールド色のコンビネーション、アイボリー文字盤という組み合わせは、通称「セナモデル」として象徴的な存在です。ただし、「セナモデル」と言っても、特に特別な刻印などがあるわけではなく、どちらかというとセナ愛用モデルとして発売されたようです。実際にレースでもセナはこのモデルを着用しており、モナコグランプリ優勝時の写真にもしっかりと写っていることが確認できます。

 

では、なぜ「セナモデル」はタグホイヤーから登場したのでしょうか?

 

実は、タグホイヤーは以前より、モータースポーツ界と密接な関係を持っていました。F1チームやレーシングドライバーのスポンサー、更にはレースのオフィシャルタイムキーパーも務めています。そして、タグホイヤーはマクラーレンのスポンサーを務めることもあり、マクラーレンに移籍したアイルトン・セナ個人とも契約を結びました

 

そして、正式にセナの刻印が入ったモデルとして初めて登場したのは「6000シリーズ・セナモデル」でした。1994年、アイルトン・セナ財団とタグホイヤーとの契約によって発売されました。当時の最新、最高級モデルとしてメンズ、レディース、ボーイズの3種類用意され、各1000本限定での販売でした。販売本数が少ないこともありましたが、発売直前にアイルトン・セナが亡くなったこともあり、注目を集めたことで入手困難となりました。

 

時は過ぎ2000年、タグホイヤーとアイルトン・セナ財団は再びセナモデルの発売に合意します。そして、2001年から2004年の契約終了まで、毎年「セナ記念モデル」を発表することになります。

 

その第一弾として発表されたのが「リンク クロノグラフ アイルトン・セナ モデル」でした。

 

↑セナ記念モデル第一弾(2001年)

 

これは、生前にアイルトン・セナが愛用した「プロフェッショナルS/elクロノグラフ」の後継機の「リンク」をベースにしたモデルです。正にセナモデルとして相応しいと感じます。最後にアイルトン・セナがワールドチャンピオンに輝いた1991年を意味する、1991本限定です。

 

そしてその後も、2004年まで後続モデルを発表することになります。しかし2005年以降は、しばらくタグホイヤーとアイルトン・セナはコラボレーションすることはありませんでした

 

↑2002年モデル

↑2003年モデル

↑2004年モデル

 

ところが2015年、なんと、あの事故から21年という時が経過しているにも関わらず、タグホイヤーはアイルトン・セナを再びアンバサダーに起用したのです!

 

↑2015年:カレラキャリバー16クロノグラフ

アイルトン・セナ ブラックエディション

 

タグホイヤーとアイルトン・セナの関係は、終わってはいなかったのです。生前から始まり、他界した後もこれだけ長くコラボレーションする例は、時計業界でも稀有です。どれだけタグホイヤーが、そして、彼のファンが、アイルトン・セナを想っているかが分かります。

 

 

 

 

 

 

■最後に

 

私たちの買取センターにも、しばしば1990年前後の時計が査定に持ち込まれます。その中に、よくタグホイヤーの時計があります。その時、私は感じるのです。

 

1990年前後、多くの方がタグホイヤーの腕時計を購入したんだなぁ」と。

 

おそらく、当時、多くの方がF1界のヒーローであるアイルトン・セナに惹かれたのでしょう。そして、彼を通してタグホイヤーを知り、タグホイヤーを購入したのでしょう。アイルトン・セナはF1ファンのヒーローでしたが、同時に、タグホイヤーにとっても、知名度を高めたヒーローだったのです!

 

そして2017年も、タグホイヤーはセナモデルを発表しています。「フォーミュラ1 アイルトン・セナ スペシャルエディション」です。セナが初めてモナコグランプリを制した1987年から、ちょうど30周年を記念して発表されました。その記念で、モナコには新たなブティックをオープンし、その際にはセナの姪であるビアンカ・セナさんが招待されました。

 

↑フォーミュラ1 アイルトン・セナ

スペシャルエディション

 

これからも、タグホイヤーとアイルトン・セナの絆は続いていきそうです!

 

 

 

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